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9.11の10年目に想う

なでしこジャパンがLondon五輪出場が決まりました。ワールドカップからずっと日本を元気にしてくれている数少ない希望の星です。これからも応援していきたいと思います。 さて9.11から今年で10年目を迎えます。巷では「もう10年も経ったのか」という声が多く聞かれますが、私はあの大惨事が本当に遙か昔の事件に感じられてなりません。それだけこの10年の間様々な変化があり、3.11の東関東大震災はまるで9.11を我々の頭から上書きするために起こったようにも思えます。 テロの発生後、グランド・ゼロは2度程訪れました。World Trade Centerの2本のビルがなくなりましたが周りのビルは以前と大きくは変わってはいませんでした。それでもやはりあのビルが無くなったことはマンハッタンの風景そのものを変えてしまいました。私の友人も事件後しばらくは、ビレッジの自宅から毎朝南を見るとTwin Towerの残像が見えていたと言います。それだけ、存在感の大きかったビルでした。実は、私もしばらくの間あのビルの下を通って毎日通勤をしていた事がありました。Path Trainという対岸のNJ州とNYCを結ぶ鉄道がTrade Centerの下まで我々を運んでくれるのです。何本もある長いエスカレーターはビルの1階までのびていました。私の職場はビルから東へ2ブロック行ったところにあり丁度、NYのCity Hallのすぐ側でした。 実は、あまり記憶にないと思いますが、あの同時多発テロよりも少し前の1993年2月にあのビルの駐車場で大きな爆発事件があったのです。その時は、職場におりましたが2ブロック先のビルが爆発で揺れたのを覚えています。それだけ大きな爆発でした。 その後、当然のようにビルの入館手続きは厳しくなり、まさかあのような事件が起こるとは夢にも思ってもみませんでした。 Trade Centerの構造は途中階にSky Lobbyがありそこまではとてつもない高速エレベーターに乗って向かいます。揺れが激しく正直落下するのではないかと思うほどでした。日本の金融機関も多くオフィスを構えていて、当時都市銀行と呼ばれていた銀行の事務所内にエスカレータを設置されていたのに驚いた記憶があります。 一体どのくらいの企業があのビルの中にあったのかはわかりませんが、よくとりあげられるのは101階から105階にオフィスを構えていたCantor Fitzgerald社です。飛行機の機体がまさに飛び込んだそのフロアーだった場所とも聞きます。 そして同社のCEOの弟も犠牲者の中におりました。 Cantor社はあの悲劇の後に次のような決定をしたのです。 社の25%の収益を犠牲者の家族に5年間に渡り支払い、同じく健康保険も10年間に渡って負担すると。 その10年目が今年にあたるわけです。 Cantor Fitzgerald社のWebサイトには兄でCEOのHowardのコメントが記載されていました。 「Cantorは、あの惨事の後に会社を閉め友人の葬儀に参列するか、それとも遺族を守るために以前にまして懸命に働くか・・・どちらの選択肢もあった・・・」 「全員一致の結論のもと、Cantorはまさに灰の中から再び立ち上がった」 このコメントには心を打たれました。外資系企業と日本企業と雇用システムの違いがよく言われますが、Howardと仲間達がとった行動はかつての我が国の心ある企業リーダー達がとった行動と重なります。海外の企業人の中にも武士はいるのだな、とそんなことを思いました。 あの日亡くなられた方々のご冥福とご遺族の方々には、心よりお悔やみを申し上げたいです。