TOEIC 850点でなんぼや?
2013年5月27日
今日のタイトルとは、少しだけ外れるが「経営センスの論理」楠木 建著を読んだ。
- この中で世の中、センスを高めなければならない(経営もその一つ)ものに、スキルを無理やりあてはめようとしているケースが多すぎる!
- そして「すぐによく効く新しいスキル」を求めている人がやたらと多い!
私 「それでは、日本は英語の面でも韓国に置いていかれているのですか?」 社長「残念ながら、間違いなく置いていかれている」何故、スキルとセンスの話をしているのに、韓流になったかというと、彼ら韓国人は、スキルよりもセンスで英語やってるな、と思ったからだ。 ここからは、自分の体験談。 (このブログでは、恥と外聞を捨てる覚悟で臨んいる) かつて、しばらく滞在した米国から日本に帰国する時に、はじめてTOEICテストを受けてみた。 目的は、しばらくいたのだから、一体自分の英語力がどの程度か、素のままのチカラで受験してみようと考えた。 だから、当時は500点、700点がどの程度のレベルなのか全く見当がつかないままで、更に試験勉強は一切しない(素のまま)で受けることにした。 試験はマンハッタンのupper west sideにあるコロンビア大学で行われた。確か講堂の一つだったと記憶している。 試験は、Listening 問題から始まる。 始まってびっくりした。自慢でも何でもなく、問題を聞いたときにあまりにも簡単で、耳を疑ったことを覚えている。 (これ・・・ちょっと受験生をバカにしてませんか?と思った) しかし、悲劇はそのあとすぐに起こった。余裕で試験を進めていたら、実は後半のReading Partは最後まで終わらなかったのだ。 それはそれで人生の教訓となった。「油断大敵」 しばらくして試験の結果が返って来た。850点也! でもこれが一体なんぼのもんやねん?と今でも思っている。あとにも先にもTOEICを受けたのはそれっきりなのだ。 またまた、何故にTOEIC試験の話になったのかというと、これもセンスの問題だ。 時折、英語について質問を受けたりする事がある。 その時に、まず自分でその英文を読んでみて『違和感を覚えるかどうか』を無意識のうちにやっている。実は今回、楠木氏の本を読んではじめてそんな事をやっている自分に気づいたのだ。 センスのあるなしではなく、ある程度のセンスを使っている、五感や六感を使いまくっている自分がいるわけだ。 外人さんの中に巻き込まれたら、耳や、目、その場の空気まですべてをフルに使って理解しようとしている。きっと同じような体感をしている人も多いのではないだろうか。 よく考えてみた。ネイティブさんだって、我々が英語の質問した時には、まず違和感があるかどうかのフィルターをかけていると思う。 日本人だって同じだからだ。日本語の文章について外人さんから聞かれたら、これは「は」で「を」じゃないよなぁ・・・でも文法で説明できる人たちはごく一部だけだと思う。 要は、センスであり感覚なのだと思った。 センスから磨く英語って、やはり冒頭の楠木氏の言葉を借りると「すぐによく効く新しいスキル」では身につかないのだろう。 そういえば英語や英会話の本や教材はどんどん増えているなぁ。 『これでだめだから、こっちへ!』という即効テキストを血眼になって探している。 その点、BEProの受講生は粛々と長い期間をかけてセンスを磨いている。 最後の段は手前味噌になってしまったが、少なくとも自分はそのように信じている。