マットBlog
偏差値30からケンブリッジの塚本氏と会う
2014年10月3日
先日、こちらの書籍の著者である塚本亮 氏にお会いしました。本に書かれている経歴の印象とは少し違う少しシャイな好青年という印象を受けました。
面談の趣旨は、ビジネスでのアライアンスの話だったのですが、話は書籍の内容にまで及びました。
特に塚本氏がこの本の中の「英語の勉強法」のくだりでは以下の点を強調しているのです。
[英語は読み]READINGの重要性
①リーディング 速読、多読よりも正しく読む
当たり前の事だが速く読むことや、多くを読むことよりも正しく読むことをおろそかにしてはいけないと言っています。
”正しく英文を読むスキルがついていなければ、正しい英文を書くスキルも育ちません。話す、聞くはまだ感覚的なもので対応できたとしても、読む力と書く力はごまかしようがないのです。”
この一言は非常に重要です。
②リーディング 主語と述語動詞をつかむ
これは、私もポッドキャストで何度も強調しているところです。英文はまず主語は何か、主語に対する動詞は何なのかを掴むことが一番大事なのです。
③リーディング 英文は頭から読んでいく
正しく読む力がついたら、英文を頭からどんどん読んでいって意味をとらえるようにします。と塚本氏も言っています。
このことも何度かこのBlogでも協調してきた内容と一致します。
日本語訳を意識することはやめましょう。それよりも文が伝えたいことは何かを正確に把握することのほうが重要です。
かつてBEPROをスタートさせる時にオレゴン大学の先生方とお会いした際に、彼らは学習プログラムに日本語の対訳は一切不要!として一歩も譲りませんでした。
当時、日本の状況を分かっていた私は、説得をしてBEPRO4レベルの2つに関しては日本語訳をつけることを許して欲しいと願い出ました。
それだけ外国語教育の専門家は母国語への翻訳が語学の取得のハザードになることを熟知していました。
しかし、もしもBEPROをすべて英語で提供していたらおそらく日本では全く受け入れられなかったかもしれません。
いまでこそIntermediate, Advanced levelの人たちが増えてきていますが、当時では少し無謀ともいえる考え方でした。
そして、英文を頭から読むことに対しては、BEPRO運営に対して指導をしてくださった、ネイティブのビジネス英語教授歴30年を超える先生からアドバイスをもらいました。
それは、日本人は英語を読むとき(聞くときもですが)に戻り読みをする。これを是正するアイディアを考えて欲しいというもの。
早速、我々はVoice Readingというライン毎の音声読み上げ機能を使って読み終えたラインから文章が消えていくシステムを採用しました。
これにより、戻り読みをしたくとも、文章はどんどん消えてしまうので、戻り読み対策要ギブスとして今でも使われています。
話は戻って塚本氏の英語の習得法について確認すると
「いや、まさにリーディングは自分の英語力を築いた礎部分でこれがなければ今の自分はないです」と力説していました。
そこで私は、最近読んでいるドナルド・キーン博士の「わたしの日本語修行」白水社刊という書籍について話題を振りました。この本でキーン博士がどうのように日本語を習得したのかについて書かれており、当然我々が英語を学ぶことと相通じる事を二人で確認をしました。
(キーン博士の書籍については別の機会にご案内します)--->コチラです。
という事で、ケンブリッジ大学に学んだ若武者・塚本氏と英語学習の部分で意気投合できたことは嬉しかったです。
ただ、彼は現在ビジネスとしては大学を中心に拡大しているようで、残念ながら今の大学生は英語を学ぶ、英語で学ぶというよりも「いかに楽をしてTOEICの点数を上げられるか?」この目的だけで英語を学習しているとのことでした。
全てが点数合わせといいますか、得点至上主義になっていて苦しんで学問(英語も含めて)に対峙できないというのは、本末転倒なのでは、と思ってしまいます。
こんな事を書いていたら、ふとかつて読んだ幻冬舎の見城徹氏の一言が思い出されます。
学生時代、彼は英語の試験を英作文の問題から解いていたようなのです。一番難解な問題なのですね。
次に英文解釈、最後に英文法と。つまり普通の人とは逆の順序でテストの問題に取り組んでいた。
そうすると、時には難しい問題にばかり時間を費やし、簡単な問題まで解く時間がなくなることもあったそうです。
普通は試験で要領のよい人は自分が解ける簡単な問題から解いて最後に難しい問題を残り時間いっぱいかけてやる、これがセオリーですよね。
しかし見城さんはそれをしなかった。なぜか??
彼は自分がスラスラ解ける問題は、他の人も簡単に解ける。そこでは差がつかない。
彼は、わざと苦しいほう、不可能だと思われるほうへ身をよじる。人がやらないことをやる、と言っています。
1日十時間以上勉強しても、楽な問題ばかり解いていたのでは少しも学力は身につかない。(昔、クラスにいたではないか。いくら勉強しても成績が上がらない、気の毒な生徒が・・・)
時間というものは、人を錯覚させる。
大事なのは、費やした時間ではなく、仕事、勉強の「質」である。多くの人が「無理」「不可能」と考えることに身をよじって立ち向かい、克服する姿勢が大切なのだ。
このように結ばれています。
私はこの一節を何度も何度も読み返して『本当にその通りだ』と頭を縦に振り続けています。
TOEICや資格試験でスコアを出すことは目標にはなりえても、目的にしてはいけない、と思うのです。
皆さんはどう思われるだろう?