ドナルド・キーン博士の外国語習得術
2014年10月4日
この本の以下の通り紹介されています。
| アメリカ海軍日本語学校への入学が人生を変えた──日本文学の泰斗はいかに日本語を学び、それを生涯の仕事とするに至ったのか。思い出の詰まった教科書を前に、自身の原点を語る。この教科書のおかげでいろいろな内容の日本語に触れることができました。文学作品といえば、あとで気がついたのですが、この中には芥川龍之介も菊池寛もあったのです。日本語で書かれた近代文学とは、ここで出会っていました。 |
実は、この書籍「わたしの日本語修行」を読んで私達が英語を修得する方法のヒントがあるのではないか? そんな目線で読んでみました。
するとこんなインタビューが目にとまります。
---この教科書には文法説明などがありませんが、先生方は説明のときにどんな文法用語を使われたのか、教えていただけますか?
キーン: それについてはまったく記憶にありません。当時は、説明なしに教えられたと思います。
---では五段動詞の「テ型」については「う・つ・る・(買う・立つ・帰るなど)」は「って」、「ぶ・む・ぬ(遊ぶ・飲む・死ぬなど)」は「んで」になる、いった規則を習うようなことはありませんでしたか?
キーン:ははあ、今はそうやって勉強するんでしょうね。「買う」は「買って」、「読む」は「読んで」。でもわたしたちは規則を習わなかったと思います。わたしは勘に頼っていて、規則は考えません。
(中略)
たくさんの日本語を読んできましたから勘が働くのです。勘で使い分けるのは、日本の人も同じでしょう。
---動詞の活用形の種類についてはいかがでしょうか。「五段動詞」「一般動詞」「変格活用動詞」とか。あるいは「vowed verb(母音動詞)」「consonant verb(子音動詞)」「irregular verb(不規則動詞)」といった英語の用語とかは?
キーン:それも聞いたことがありません。先生方は、そういうことばで教えませんでした。動詞の活用については、動詞のタイプ別に決まりがあるということを、わたし自身は、『巻五』で初めて気づきました。その前には全然知らず、ただ、一つずつ覚えていったわけです。規則を意識するということはありませんでした。
日本語学に専門性のある先生といえば、コロンビア大学のナカムラ先生、ワシントン大学のヘンリー・タツミ先生ほか2,3人だけでした。あとは教養ある先生ではありましたが、日本語を学問として勉強した人はいなかったのです。
日本語を子どもときに覚えたというような人たちでしたから、文法用語は考えていなかったのだろうと思います。英語の文法用語が使われることもありませんでした。
さあ、如何でしょうか。このやりとりは我々に何かを示唆しているように感じました。
英語を学ぶ上で我々は「文法」「英単語」「英熟語」「リスニング」「ライティング」...etc. そんな体系や規則からはじめる、というのは固定概念になってしまっていますね。
キーン博士はインタビューで英文の規則とか文法については一切習っていない。
そして、その規則のようなものを自ら大量の日本語を読むことで体得している。
確かに、我々も日本語を読むときにいちいち五段活用や「これがここを修飾している」などとは一切考えずに進めていますよね。
私自身も10年程アメリカに滞在していたので、ある程度の分量の英文を読まざるを得なかったので、帰国した当初はこの英文はどこかおかしい、という事を文章を読んでみて『しっくりくる』『しっくりこない』という感覚で判断していました。
実は、こうした作業は私達も日常で行っています。自分が書いた文章を読み返すとき。読んでいて『何か、この部分がスムーズじゃないな』と思うとそこを書き換える。こんな事を繰り返していますね。
キーン博士が「勘」とおっしゃっているこの「勘」を自分の中に構築すること。
それが本当は崩れない、確かな英語力をつける方法なのかもしれません。
大量の英文を読むこと。そうすればこの「勘」は必ず会得できる。
ただ、それは一朝一夕は得られないのですね。だから皆、途中で自分自身を疑ってしまう。
あるいは、そのメソッドに疑問を抱く。
でも、それは何日も同じ景色の砂漠を歩き続ける旅人がコンパスを頼りに前に進むことに似ています。進まなければオアシスにはたどり着かない。コンパスを疑ってはその付近をぐるぐると回るだけでこれまたオアシスには到達しません。
自分を信じ、先達の言葉(メソッド)を信じて必ず見つけられるオアシスを目指す。
この点、今一度確認しあいたいですね。
Have a nice weekend.
